- 『仕事始めに、仕事について考える』
- 子供のころ、なりたかったものって何だったけ?とふと思うときはありませんか?女性ならではの職業、スチュワーデスや看護師さんは憧れでしたよね。みなさんは、どんな職業に就きたいと思っていましたか?そして今、その職業に就けましたか?昔の夢と今の夢、あてはまるものにレッツクリック&メール☆彡
- ★ なりたかったのは…
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医者・看護師 274票 歌手・タレント 255票 先生 220票 保母 226票 マンガ家 243票 花屋 208票 スチュワーデス 208票 およめさん 132票 飲食店経営者 100票 おひめさま 114票 ペット屋 52票 OL 53票 その他 482票 - ★ 憧れの職業に…
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就けた! 233票 別の職に就いた 1325票
- 【なりたかった職業】
- 小学生低学年の頃、「職業」といえば「○○屋さん」しか知らず、算数がぜんぜんできなかかった私は、「お菓子屋さんならせいぜい数百円単位の計算しかしなくていいから私にもできそうだ」と思い、お菓子屋さんを希望していました。お菓子屋さんでも仕入れや帳簿などで何十万、何百万円単位の数字を扱わなきゃいけないと気付いたのはオトナになってから。
- (さん)
- 子供の頃、宝塚が好きでショーの最後に大きな羽を背負って降りてくるスターに憧れていました。しかし、その後は平凡に過ごし、10年経った今ではサンバのダンサーに!確かに羽は背負ってますが、どこで間違ったのやら。
- (サンバ娘)
- 子供の頃新聞で、「農業用水路にU字溝を使うようになったため、蛙が落ち込むと這い登れなくなっている」という記事を読みました。で、かなり真面目に、「蛙を助けるべく、蛙が登れるU字溝の開発をするんだ!」と心に誓った…。これって、土木?農学?
- (雅やん)
- 私の母が保母をしていたので、なんの迷いもなく、私も保母さんになるものだと思い続け、高校も保育科に通いました。でも、保母になるための専門教科が難しくてついて行けず、おまけに保育実習に行って『私は子供が嫌い』ということに気づき、あっさりと断念。で、結局就いた職はデパガでした。。。
- (なの)
- 小学生まで、バスガイドになるのが夢でした。理由は好きだった男の子がバスの運転手になるのが夢だったからという、単純なもの。でも中学生になって、バスガイドさんって歴史とか寺とか覚えなきゃないんだ…と思い、歴史が苦手な私はあっさり諦めました。そんな私は、春から地方公務員です。なんだか、大人になったなぁと思います。
- (まなみ)
- 子供の頃から周りの年寄りを観察し、役に立つ老人になりたいと思っていた。今は世間話+その他多くの知識を身に付け、家相の相談(裏家業、本職は別)を受けて喜ばれています。これならまだまだいける、めざせ、必殺仕事人!
- (okoma)
- 子供の頃ジャンボジェットのパイロットになりたいと思っていたけれど、その頃は、女性がジャンボのパイロットになるチャンスはなかった。でも、頑張れば女性パイロット第1号になっていたかも、と思うと、ちょっと悔しい。
- (レイ)
- 高校の入学式で担任から「オレは教師になりたかったのではない。人生は思いどうりにはいかないのだぞ!」と言われ、そんな事はない!と思っていた私。しかし、獣医を夢見て大学を受けたが見事に不合格。なる気もないのに受けていた公務員に気がつくと就職していました。あれから早20年…。どっぷり役人らしくなった自分に、担任の言葉の重さを感じる今日この頃です。
- (てんきち)
- 私の夢はかわいいお嫁さん。中学の卒業アルバムに『将来の夢 ジャイアンツの緒方選手のお嫁さん』と本気で書いた。しかし就職した年に緒方選手が結婚。新聞を泣きながらビリビリに破きました。今考えるとものすごく恥ずかしいけれど、その4年後に結婚し、今では5歳になる双子の娘に恵まれて、半分は夢が叶ったのかな…。旦那が緒方選手じゃないのが残念だけど(とか言ったら怒られるけど)とりあえず幸せです。
- (なな)
- 私がなりたかった職業は「ノッポさん」です。ノッポさんの仕事内容は、工作とゴン太君やちびっこと遊ぶことだと思っていたので、楽しいことばかりでいいなぁと。おかげで、今ではOL兼事務所の用務員さん的存在になってしまいました。
- (chep)
- 動物が大好きで、中学生の頃から将来は獣医になりたいと思っていました。でも、高校3年生になっても、成績は学年で下から1、2番目…動物関係の他の大学に行こうと思いつつも、夢を諦めるために、獣医学科を1校だけ受けました。落ちれば気持ちに整理がつくと思ったので。なのに!奇跡的に受かってしまいました!今は念願の動物のお医者さんとして毎日頑張ってます♪皆さん、夢は最後まで諦めるものではありません。
- (かおり)
- なりたかったのは、帰宅したダンナが、玄関から次々と脱ぎ捨てていく服をうしろから拾っていき、おふろでは頭まで洗ってあげるような、尽くす妻。が…30過ぎて医学部にはいり、医者になってしまった。献血で自分の血を見ただけでぶっ倒れていたのは、過去の私。今は、頭だって縫う。
- (ぱちょりん)
- ずっとサーカスの団員になって、空中ブランコを練習するのを夢見てました。密かに自分なりの練習(柔軟とか)もしていたのに、母にはいつもお願いだからやめてねと言われていました。興行も修学旅行のようなものだと思ってました。
- (くらうん)
- 私は小学生のころ総理大臣なりたいと思っていました。おっさんには女の気持ちがわからない。だから、いつまでも女性が損をするんだ。女性が総理大臣になればなんとかなる、と本気で思っていました。今や選挙の投票にも行かない研究職です。どこでどうなったのか…。
- (さや)
- 小学生の時は鉄腕アトムにハマって科学者志望、中学校時代は考古学者志望(三つ目がとおる)に変わった。その後、僧侶志望、自衛隊員志望(かっこよく見えた…)を経て、大学時代には語学を操る国際機関員(ツーリング・エクスプレス)になりたいなーと…。その時々でハマっている漫画に影響されていたものの、勉強は適当だったので、どの志望職種にもつけず…。結局、今は社内翻訳者として派遣で働いています。まあなんとか語学で食べているあたり、最後の志望にかすった…かもしれません。
- (そういえばサイボーグにもあこがれた)
- 小学生の頃「わたしの夢」というテーマの作文で、友達は「花屋さん」「ケーキ屋さん」「王様」などとかわいらしい内容だったのに、「婦警さんになりたい」と書いた私。理由は、「毎晩毎晩飲み歩いている母を補導するため」…ちなみに、飲み仲間の名前もすべて列挙されています。イラストは手錠をかけられて連行される母。この作文は文集になり、学年全員に配られました。今でも手元にあります。そして未だに母に文句を言われます。
- (今は保険屋さん)
- 私の記憶にはないが、幼稚園の頃、「お母さんになりたい」と言ったそうな。お嫁さんじゃないの?と尋ねた母に「およめさんは一日だから。おかあさんはずーっとだから」と言ったとか。五月には母になります。立派な母になれるよう、頑張ります。
- (神崎)
(編)一番人気は「医者・看護師」でした!が、憧れの職業に就ける率は15%…。夢実現への道のりは長く、かなり厳しいようです。うーむ。
- 『ウィークリー女子まぐ!』
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(増刊号あり)
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